その電話は、仕事納めも間近に迫った12月の終わりに、突然かかってきた。
散髪中の僕は、ポケットで振動するスマートフォンを一度はスルーしたものの、それが勤務先からのコールだと分かると、思わずスタイリストさんの手を止めさせる。
仕事のミスだろうか。それとも、昨日のお昼に洗ったお弁当箱、置いてきちゃったとか?
まるで心当たりの無いまま、仕事用の自分を意識の底から叩き起こして、喉元に呼びつけた。
「もしもし、職員のかみゆです」
「あ、かみゆさん、コールバックありがとうございます。ちょっと、お願いしたいことがあって」
電話の向こうは、少しホッとしたような声。どうやら怒られるわけではなさそうだ。
しかし、次のフレーズに僕は唖然とする。
「卒業式の、ピアノ伴奏をやっていただきたいんです。」
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ことの始まりは、職場の忘年会だった。
お酒に酔った僕は、つい勢いに任せて、自分のバンド活動のことを惜しげもなくカミングアウトしてしまったのだ。
ちょうど当時、自分のバンド、ブレンブレンドがレコーディングをしていた時期ということも重なり、
おそらく、うざったいくらいのアピールをしたのだろう。あんまりよく覚えていないけれど。
それがどこから漏れたのか、上司の耳にも入ったというわけだ。
式典行事のピアノ伴奏というのは、基本的に教員が務めることが多いが、ご察しのとおり、この国の教員全員がピアノを弾けるわけではない。
そして、仮に弾ける方がいたとしても、その方の受け持つ学年や当日の教職員の動静により、ごく稀に「伴奏者が誰もいない」状況が発生する。
今回はそうした経緯から、職員である自分にその役が降りてきたというわけだ。
国歌、校歌含め全5曲。なんとも身に余る光栄。
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とはいえ、文字通り自分は「職員」である。
常日頃、教壇に立つこともなく、子どもたちとの関わりも、教員とは比べ物にならないくらい薄いのが現状だ。
自分はこの話を、引き受けるべきなのだろうか。
迷いに迷う自分の脳裏に浮かんできたのは、職場の方々との毎日だった。
4月に異動してすぐ、ともすれば孤独に苛まれやすい一人職の立場である自分を、暖かく迎えてくれた上司。
いつだって、気兼ねなく声をかけてくれる先輩方や同僚たち。
考えてみると、僕はすでにこの職場から、多くのことを与えられ、学んでいた。
だから、返そう。せめて、自分ができることで。
迷いは、一瞬で消えた。
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スイッチが入ると、現状なんてあっという間に変わる。
僕は3学期の始業式で、鮮烈かっこわらいな「謎のピアノの人」デビューを果たし、
行事では保護者の方の参観中にBGMを引き倒し、
週に2回は校門に立って朝の挨拶をした。
その甲斐あってか、あっという間に僕の存在は子どもたちになんとなーく知れ渡り、
大きな抵抗もなく、彼らの輪の中に入っていけるようになったのである。
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合唱の伴奏というものは奥が深い。
一見、すでに完成された歌に沿って演奏しているイメージがあるが、
どちらかというと歌をリードする役割が強く、指揮の要素があるように感じる。(指揮の経験がないのに、それっぽく言ってごめんなさい。笑)
それは、ふだん自分が得意としているような「ある程度の主体性を持った歌に寄り添う」奏法とは真逆のアプローチである。
テンポやダイナミクスも含め、自分自身が事前に歌を解釈し、分かりやすく演奏で示さなければならないのだ。
3月。練習は佳境に入る。
様々な方にご助言をいただき、各曲のセクション一つ一つをより深く掘り下げる日々が続いた。
その過程はせっかちな自分にとっては修行のようなもので、匙を投げたくなることもあったが、
成長著しい子どもたちを目の前にすると、負けていられなかった。だってみんなすげー上手くなるんだもん。笑
お互い、技術だけでなく、気持ちも高め合いながら、
あっという間に練習は最終日を迎える。
ひと通りリハーサルが終了したところで、
学年主任の先生は、門出の言葉や歌の総評を述べた。
そして。
「今日までずっと、伴奏をしてくださった、かみゆさんにも一言いただきたいと思います。」
初めて、彼らの前で、演奏以外の手段で、気持ちを伝える場をいただいた。
何を話そうか。そんな迷いはなかった。
だって、迷いは、とうの昔に消えていたから。
自分の立場がどうであるとか、そんな遠慮だってもういらない。
僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「音の速さって、どのくらいか知っていますか。
1秒で、だいたい330m。思ったほど速くないでしょう。
だから、この体育館のピアノと、みんなの歌っている場所の距離でも、お互いの聞こえる音には少し遅れが生じます。
最初は、そのずれた分を合わせるのがとても大変でしたね。
でも、今日の歌は、みんなの息もばっちりだったし、伴奏ともしっかり合っていて、とても良かった。
なんでだと思う?
もちろん、みんなの技術が向上したのも一つの理由ですが、
それ以上に、みんなの気持ちが、一つにまとまったからだと、僕は思うんです。
気持ちは、音なんかよりもずっと速く、人の心に届くんだ。
だから、音の速さの問題を越えて、僕らはバチっと合わせることができたんです。
明日は、お世話になった方が、この体育館にいらっしゃいます。
最高の気持ちと歌を、みなさんに送りましょう。」
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当日のことは、意外にもあまり覚えていない。
恐ろしいくらい、何もかもが一瞬で終わってしまった。
ただ、式が終わって、外で卒業生を送り出しているときに、
あぁ、この仕事をしていて本当に良かったな、
音楽を続けていて本当に良かったな、
というフレーズが、頭の中をループしていたのを覚えている。
この2つの思考が、同居するなんて。
人生への肯定感に満たされ、自分はなんて幸せ者なんだろう、と思った。
それと同時に、このような機会をくださった上司と、職場の方、子どもたちみんなへの感謝の気持ちで、胸がいっぱいになった。
結局、最後の最後まで、僕は与えられるばかりで、卒業生を送り出してしまったけれど、
このお礼は、ペイ・フォワードだ。次に出会う人たちのためにとっておこうと思う。
彼らもそれを、きっと分かってくれるだろう。
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ちなみに、僕は職場で、かみゆとは呼ばれてないですよ。
そこだけはフェイクで。でも後は、だいたいノンフィクション。
とある学校事務職員の、とある年度末の、お話。