心を亡くす日々には、心を。

通勤電車の中に、マスクをした人が増えてくると、
間接的に春を感じますね。

今日なんか、マスクじゃなくて、
ハンカチをずっと鼻に当て続けてた人もいて、

あーあれ止まらないんだ、春が止まらないんだ!

と、詩的に解釈しました。

さて、僕がなぜブログを書いているかを
掘り下げると、理由は山のように出てくるんですが、

一番は、

楽しいこと・嬉しいことを、なんかたくさんの人と共有できるから

なんですね、たぶん。

何か喜ばしいことがあったときに、
ひと昔前だったら、実際に会った人としか
それをシェア出来なかったわけです。

好みにもよるけど、僕からしたら、これってもったいない。

インターネットを通して、いろいろな人と簡単に繋がれる時代だからこそ、
できるだけ多くの人と、プラスの感情を共有したい。
きっと学生の頃のmi○xiや、faceb○okの頃から
このスタンスは変わっていないと思います。

ただ、不思議なことに、人って、
どちらかというとマイナスの感情を共有したがる傾向がありますよね。

そしてこの傾向が強い人ほど、SNSでそういう感情を発信しがちなのも、正直否めない。

書き言葉の持つ影響力って、案外大きくて、
もう無理…とか、もう嫌だ…とかっていうフレーズ(以下、「めそめそ言葉」)は
見た人にも同じ感情を想起させてしまう。
これはきっと、よくない。

話し言葉と違って、書き言葉にはある程度形にする時間があるんだから、
なるべく前向きに、リフレーミングできたらいいですよね。

マジうざい!って書きそうになったら、

まことにうざいでございますで候

って古文風のオブラートに包むとか。

あーなんか、むしゃくしゃする!
とか書きそうになったら、

あーなんか、むしゃむしゃする!

って言い換えて、めちゃ食いしん坊っぽく回避するとか、ね。

話がそれましたが、
とにかくこれからも、このブログを通して、
自分の人生のあれこれを
自分だけじゃなく、みなさんとシェアしていけたらなと、思っています。

どうぞお楽しみに。

さて、次回の中吉小吉は、

「長く続くバンドと、続かないバンドの差について暑苦しく語ろうの会」です。

ではしばし。