ブルースに対する傾向と対策

かれこれ、高校生くらいのときから
ブルースを聴いたり弾いたりしてきたけれども、

これがいまいちよく分かっていない。

分からないまま、もう10年くらい経ってしまいました。
このままではいけない気がするので、
その原因を探り、対策を講じていきましょう。

原因その1「思考がブルースになりにくい」

ブルースは、社会や人生、はたまた人間に対する孤独感や悲しみをテーマにした楽曲が多い。

この孤独感や悲しみというものが、
僕の頭の中では生まれるや否やポジティブに昇華されてしまうため、音楽にトレースされにくい。

特に社会人になってから、
アドラー心理学の考え方を取り入れて云々かんぬんということで、
あまりやさぐれた感じになれないのである。

対策

小学生の時は演劇クラブに入っていて、
最高の演技力かっこわらいを遺憾なく発揮していた僕かっこわらい。

それを生かして、他人を観察し、ブルースに必要な孤独感や悲しみを演じながら演奏するのも手だ。

また、ブルースそのものが誕生した当時のアメリカの社会背景、
すなわち、「なぜ人はブルースを歌い始めたのか」を調べることで、
その孤独感や悲しみに少しでも触れることができるかもしれない。

要は勉強が必要だということだ。やってみよう。

原因その2「ソロにときめかない、ソロがときめかない」

できればずっと歌の伴奏だけしていたい僕。
しかしブルースには歌と同じくらいの尺の楽器ソロがある。

はいソロ!と振られると、何やら面白いことをスピーチで言わなきゃいけないかのような気分になり、身構えて、辟易してしまうのだ。

音楽やってる人はそこのとこみんな好きだと思われているかもしれないが、僕は違う。
みんなと一緒に盛り上がって、

できればおいしいとこだけかっさらっていきたい

というけっこう最低なヤツである。
その最低なところが、炙りだされる感じになるのも、
ソロに対して身構えるひとつの原因かもしれない。

対策

昨日の帰り道、少し機嫌がよかったので
頭の中で12小節のコード進行を流しながらテキトーに歌って帰った。

我ながらかなりの名フレーズが出てきた。

ソロを弾くというよりは、歌う感覚で弾くほうが変に身構えなくて良いのかもしれない。

ただそれを鍵盤で表現するのには技術も必要だ。
歌いながら、鍵盤でその真似をする、
他の楽器のソロをごっそり鍵盤で弾いてみる、etc…
いろんな練習方法でアプローチしてみよう。

原因その3「難航するお手本探しの旅」

バンドでブルースの曲やるよー音源が配られ、聴いてみると

ピアノ、いねー!

オルガンも、いねー!

ということが多い。

そうなると、練習は居場所探しから始まる。
そしてたいてい見つからずに終わる。

また、同じような曲調で、鍵盤楽器の入っているアンサンブルの音源を探したりもするが、
案外、時間と手間がかかる。

読者のみなさまはご存知だと思うが、
僕はスマートさの皮を被ったズボラ及び飽き性という
稀有な才能の持ち主である。
音源探しの旅が日帰りでももたないということは容易に想像がつく。

対策

あくまで個人的な考えではあるが、
バンドアンサンブルにおけるキーボードの役割は、
料理の完成間際にかける塩コショウなり、醤油なり、ソースなり、みたいなものだと思っている。

アンサンブルの隙を見つけて、ベストな味付けを足していく楽しさは、
きっとブルースでも変わらないはずだ。

音源を聴くときも、これでバンドが完結していると決めつけて聴くのではなく、
ちょっとしたアレンジャーの気分で、傾聴するのが良いのかもしれない。

はい。

そんな感じで、奮闘中なのであります。

来週にはライヴも控えております。
コンディションとテンション、上げていきましょう。

場所は、オキナワAサインバーKOZA
前から行ってみたかったとこなので、楽しみ!

お時間のある方はぜひお越しくださいね。